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中国 偉人 名言
どうも! Kuです。今回も「 世界 の 名言 」シリーズをやっていきます!
今回は、名言と言えばことわざや故事成語が多い中国は欠かせない! ということで、その中でも特に影響力が大きいと言われている孔子、老子、荘子の名言を取り上げていこうと思います。
名言の中にはその当時の中国の状況だったからこそ言える言葉、というのももちろんありますが、何千年たっても変わらず多くの人々に当てはまる普遍的な言葉も多くありました。
なにも名言が絶対とは言いませんが、人の思想に触れることで新たな発見をすることもあり、人生をより良くするためのヒントが得られるかもしれません。
※字名(あざな)とは、中国などの漢字圏における成人後につける名前のこと。
ちなみに男子は20歳、女子は15歳のときに字名がつけられていた。
春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖[2]。 氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。 孔子は尊称である。 ヨーロッパではラテン語化された”Confucius”(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。 読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。 釈迦、キリスト、ソクラテスと並び四聖人(四聖)に数えられる[3]。
Wikipedia「孔子」より引用
参照:Wikipedia「老子」
諸子百家のうちの道家は彼の思想を基礎とするものであり、また、後に生まれた道教は彼を始祖に置く。
「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。
書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする[2]。
道教のほとんどの宗派にて老子は神格として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持つ。Wikipedia「老子」より引用
参考記事:老子とはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や思想、老子の教えを学べるおすすめ書籍も紹介!】
中国戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)に生まれた思想家で、『荘子』(そうじ)の著者とされ、また道教の始祖の一人とされる人物である。
Wikipedia「荘子」より引用
参考記事:荘子の性格と生涯は?生き方の逸話やエピソードが面白い
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」 意味:度が過ぎることも、または不足することも共によろしくないことだ
「義を見て為さざるは、勇なきなり」 意味:正しいと知りながら行動しないのは、勇気がないということだ
「良薬は口に苦くして病に利あり 忠言は耳に逆らいて行いに利あり」 意味:良薬は、苦くて飲みにくいが病気には効く。よい忠告は、聞くのはつらいが反省し行いを正せば、自分のためになるということ。
「その人を知らざれば、その友を見よ」
《考察》
その人の価値観は交友関係を知ることでも見えてきます。
「類は友を呼ぶ」ということわざもある通り、価値観の似通った、もしくはお互いの価値観を受領できる関係であるからこそ居心地がよく感じられ、友人になることができるのです。
また、その人の友人とのかかわり方を見て、その人が人と深い信頼関係を築ける人物かどうかも知ることもできます。
たとえば、友人から慕われており、その友人が生き生きとしているのであれば、人を楽しませることができる好感がもてる人物だと判断できます。
そして、反対に、自分が困ったときや寂しいときだけしか関わらないような都合のいい友人が多いのであれば、利害関係が一致する相手としか関われない利己的な人物と判断することができると思います。
「信頼できるかどうか」は人間関係にはっきり表れるといってもいいかもしれません。
「人の本性はみなほとんど同じである。違いが生じるのはそれぞれの習慣によってである」
《考察》
「習慣が人生を形づくる」とよく言いますが、まさにその通りだと思います。
習慣とは定期的な活動や自分独自の習性などのことをいいます。
独自の習性とはたとえば、「絶対に靴下は右側からはく」とか「風呂上りに必ず牛乳を飲む」とかです。
他には、朝早く起きて作業をするのが好きな人がいれば、夜中になってから活動的になる人など生活スタイルだけ見ても様々な習慣の違いがあります。
また、習慣によって得られるものも違い、そこから能力や感性の差が生まれたりもします。
運動を毎日する習慣のある人なら健康的な肉体と精神を、読書をする習慣のある人なら思考力や言語機能を、定期的に旅行に行く人なら行動力や感動体験を、これらの習慣の全くない人に比べて得られていると思います。
それに別の視点で考えると、まぁ能力の差こそあれ、ある程度実績を残せる人は日々の積み重ねができる人が多い気がします。
常人が途方に暮れるような膨大な量の作業を何の苦痛もなく自然に積み重ねられるひとを天才と呼んだりもしますが(天才のタイプ・定義は諸説あり)成果をあげるためには日々の積み重ねが欠かせません。
「君子は和して同ぜず 小人は同じて和せず」 意味:優れた人物は、人と協調するが主体性を失わず、小人物は、表面では同調するが心から親しくなることはないということ。
《考察》
協調性の低さを自慢する人がたまにいますが、人の意見を聞き入れずむやみに人とぶつかるようでは傲慢というもの。
「人と違うことをしたい」ということは、「自分の頭で考える」ことでもありとても素晴らしいことだと思います。
ですが、大事なのは「主体性」を持つことであり、協調性があろうがなかろうが関係はありません。
たとえば、数人の友達と旅行の計画を立てたとします。「自分は絶対ここに行きたい!」という場所があったとして、でも、友達は微妙な雰囲気。しかもみんなの行きたい場所を回っていたら自分の行きたい場所に行けないかもしれない。
ここで協調性のない人はごり押ししてでも(もしくは友達と行くのをやめて一人で行くなど)無理やりにでも自分の行きたい場所に行こうとします。
協調性のある人は「今回だけは!」とかなんとか言って友達を説得して賛成意見をもらおうとするか、「全体的に少しづつしか時間はとれなくなるけど、全員の行きたい場所に行く」などの代替案を出すなどするでしょう。
ここでポイントなのがどちらも「絶対この場所に行きたい!」という主体性を失っていないということです。
「あ、友達は反対なのか。でも、もめるのも面倒だし、本当は微妙だけど友達に合わせるか」と考え自分のやりたいことを我慢していく旅行は、はたして楽しいでしょうか?
協調性を保ちながら主体性を持つことは多少難しいですが、決して不可能なことではありません。
「足るを知れば辱められず、止まるを知ればあやうからず」 意味:控えめにしていれば辱めを受けない、止まることを心得ていれば危険はない
「上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず」 意味:最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく、誰もがみないやだと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。
「大器は晩成す」 意味:大きな器は完成するまでに時間がかかることから、真に偉大な人物も大成するのが遅いということ。大人物は遅れて頭角を現すということ。
「困難なことは、それがまだ易しいうちに始めなさい。偉大なことは、それがまだ小さなうちにやりなさい。世界中の困難な問題も、かつては易しかったに違いない。偉大なことも、かつては取るに足らない小さなことだったに違いない。千里の旅も、第一歩から始まるのだ」
「誰かを深く愛せば、強さが生まれる。誰かに深く愛されれば、勇気が生まれる」
《考察》
「愛」とは何でしょうか?
筆者は「誰かを幸せにしてあげたい」と思うことが愛の本質だと思います。
幸せの定義も数多くあれど、「この人を幸せにしてあげたい」と思う気持ちには温かい意志を感じます。
また、誰かのその温かな意思や優しさは「自己肯定感」を高め「自信」をもたせてくれる心の支えにもなります。
「背伸びをする者は、長く立っていられない 大股で歩く者も、長くは歩けない」
《考察》
自分を偽り続けるのはとてもしんどいことだし、足元も危うい。
化けの皮は必ずいづれ剥がれ落ちます。
やはり、誠実が一番。
「自分を偽ることなく地道に正直に」これが、人生を長く快適に生きるためのコツだと筆者も思います。
「魚を与えれば、一日食べていける。魚の取りかたを教えれば、一生食べていける」
《考察》
ただ与えられるだけでは本人のためになりません。
それは一時しのぎにしかならず、与えられることがなくなった時点で終わりだからです。
しかし、人に頼らずに自分の力で得る技術を身につけることができれば何度でも収穫を得ることができ、自分自身の力で自分の人生を豊かにして行くことができます。
また、人に施す教育も同じです。
たとえば、テストの点数が低くて悩んでいる人に対して本人の成長を望むのであれば、テストの答えを教えるだけでは不十分であり、「解き方」や「応用の仕方」までをも教える必要があります。
教え子が自立できて、初めて教育だと言えるのです。
「井の中の蛙大海を知らず」意味:狭い世界で生きていると、外の広い世界のことは何も分からないということ
「明鏡止水」意味:曇りのない鏡と波立たない水のように、心にやましい点がなく、澄みきっていること。
「駿馬は一日に千里走ることができるが、鼠を捕まえることでは猫にはかなわない」意味:何事にも得意不得意があるということ
「人は皆、有用の用を知るも、無用の用を知らず」 意味:誰もが目に見えて役に立つことは良く知っているが、一見役に立っていないように見えることが、実は大きな役割を果たしていることを知らない
《考察》
この言葉通り確かに、目立つ事柄にばかりついつい目が行きがちですが、「縁の下の力持ち」の存在の目を向けることも大切です。
直接的にしろ間接的にしろ、人一人の人生には多くの人が関わっており、より良い暮らしをするための支えになっています。
電気、水道、ガス、スーパー(流通)、電車、スマートフォン(ネット)…
普段何気なく利用している文明の技術は自分一人では作り上げることはできないだろうし、知らないうちに誰もが文明の技術、社会の恩恵を受けながら生活しています。
「社会」というシステムがあるからこそ人は快適に生活することができ、よりよい社会にしていこうと努力している人がいるからこそ安全に暮らすことができています。
「お金や労働という対価を払っているんだから当たり前」とは思わずに、自分の生活の支えになっている存在が必ずいることを忘れないようにしたいですね。
「将(おく)ラズ、迎エズ、応ジテ而(しか)シテ蔵(おさ)メズ」 意味:過ぎ去ったことや先の心配でくよくよせず、物事に全力で取り組むべきということ
《考察》
「過去にとらわれずに今に目を向ける」という意味合いのある言葉は、実に多くの偉人たちによって残されています。
落ち込んだところで結果は変えられません。たとえ、いかなる権力者や天才であれ過去を変えることは不可能です。
変えられないことにいつまでも悩んでいるより、自分の力で変えられることに頭を使うことの方が有益です。
それに、持てる力をすべて出し切ることに必死になっていれば後悔しているひまもなくなりますし、何かにがむしゃらに取り組むことで少しづつ成長でき、結果的に未来をいい方向に進ませることもできます。
「虚室、白を生ず」 意味:先入観を持たずに人と接すれば、他人の意見を素直に受け入れられるということ
※虚室=空っぽの部屋、白=太陽の日差しのこと。
《考察》
他人の意見を素直に聞き入れられるかどうかで、その人の度量が見えてくるものです。
「素直」というのは主体性をもたずに相手の言いなりになるということではもちろんありません。
「人のいうことを信用して何でも聞き入れよう」と考えることでもありません。
「相手の話を丸ごと否定せずに、矛盾のないところや受け入れられるところは受け入れよう」とするスタンスが「素直になる」ということだと思います。
また、自分の考えに固執せずに、最善をとるためにあえてこだわりを捨てられるかどうかもその人の度量の深さがうかがい知れるというものです。
「自分はこうだ」と思うことは主体性を持つことであり、自分の人生を生きる上で大切なことでもあると思います。
ですが、「自分の意見は絶対に正しい」と思うことは方向を一歩間違えれば偏見につながりかねません。
まずは一旦受け止める、そして自分なりに分析して考えることで初めて見えてくるものもあるはずです。
たとえば自分の長所や短所など、自分から見たらなんともないことでも他人の目から見たらすごく特徴的だったりして、他人に指摘されて初めて気づくこともあります。
「先入観を持たない」とは気をつけていてもなかなか難しことでもありますが、偏見を一切持たない頭の柔らかい人物にぜひともなりたいものです。